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羽黒けら踊り

平成初期の広報いわせにある、羽黒けら踊りの記事。羽黒けら踊りは羽黒地区に江戸時代から伝わる踊りで、麦の豊作や義民への感謝を祈る珍しいものだったのだが、現在ではほぼ消滅したと言える状態になっている。

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平成5年のいわせものがたりにはけら踊りに関する話が載っている。

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「けら踊り」は、西小塙上地区に古くから続いている伝統芸能であるが、いつしか忘れられようとしていた。そんな時、現在(平成5年当時)の地区区長である飯島氏らがまだ若い頃、けら踊りが忘れられるのを憂いて、古老の指導を受け復活したため、今も毎年盛大に続けられている。

 この踊りは、リズムの早い踊りで、昆虫のけら虫が忙しく土を掘り起こす動作を真似たといわれている。太鼓の音もあわただしく、化粧した男女の踊り手が腰を深くかがめながら、大形に踊るさまは本当に珍しい郷土芸能である。

 飯島氏の話によると、毎年八月二十日頃に開催されるとのことであるが、今年は八月二十一日に開催され、あいにくの俄雨にたたられてしまった。

 それでも雨の中多くの地区民が子供も交えて盛大に踊ってくれたと感激していた。

 そして現在、自分たちが継承しているけら踊りを絶やさぬために、夏休みには毎晩のように愛好する小中学生に練習させていると語るのだった。

 けら踊りは、農作物の豊作祈願の踊りとも、また寛延三義民の供養のための踊りともいわれ、その唄は次のとおりです。

 

  チョイトキタサ、チョイトキタサ

  今日は羽黒のけら踊り

  松茸さんなら、お寄んなさい

 

  チョイトキタサ、チョイトキタサ

  大杉囃子はありかたい

  おかげで、お米が二度とれた

 

  チョイトキタサ、チョイトキタサ

  昔の人が言うことにや

  偉いお方が、三人いたそうな

 

  チョイトキタサ、チョイトキタサ

  この世の世直し、してくれた

  それは、余人じゃないわいな

 

 この四節の歌詞が示すように寛延二年の山外郷百姓一揆の指導者であった磯部清太夫、萩原太郎左衛門、藤井佐太郎の処刑を悲しみ、その鎮魂慰霊のためにけら踊りが出来たとも伝えられている。

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一時期は消滅しかけたけら踊りは、昭和に入り盆踊り的なポジションで一度復活した。この復活のおかげでこのようなカラー映像が残されているわけだが、子どもに風習を教えづらくなった現在ではもう見る影もない。