裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

羽黒地区

羽黒第一地区土地区画整理事業

友部地区の50号線北側に広がる田んぼ。耕地整理されていない不揃いな形が目に付くが、これには理由がある。 この田んぼがある一帯には「羽黒第一地区土地区画整理事業」という開発計画があり、耕地整理されていないエリアはその優先整備地区だった。言ってし…

町道12号線の標識

50号と猿田地区を結ぶ町道12号線の標識。わざわざ岩瀬町高幡と付けられている。 普通の道ではこういった表示は見られないが、ここが町道であることそして岩瀬町をアピールするために取り付けられたのだろう。標識はもう錆びまくっているのでもうじき取り替え…

県道140号線のバイパスもどき

県道140号西小塙石岡線を北上していくと、いきなりセンターラインのある広い道路が現れる。この地点で右に逸れていく道が昔からの街道で、現在も県道指定を受けている。 問題がこの直進側の道。航空写真を見ると1974年では工事中で1976年には通行しているの…

東友部転作推進センター

東友部の住宅街にある公民館。なかなか変な場所にある。 昭和59年の建築で、日本家屋のような三角屋根にいきなりの豆腐建築。いかにもツギハギ建物のような感じ。 敷地内には羽黒第一土地区画整理事業の測量碑がある。未完成に終わった当事業の数少ない痕跡…

水戸 八劔神社

水戸地区中央の台地の上にある八劔神社。日本武尊を祀っている。 岩瀬町史によると、ここの創建は応永34年(1428年)。日本武尊の東夷征伐の休憩地だった場所に祠を建てたといわれている。 新し目の建物で、本殿と拝殿が一体化したシンプルな造りだ。

橋本 爪黒神社

上城地区橋本集落の突き当りにある爪黒神社。舗装された道を進むと神社のわきに着いてしまい、本来の参道は山の中に埋もれている。 石碑によれば創建は応永32年(1425年)で、明治6年には橋本村と谷中村が合併し上城村となったことにあわせ、谷中村の諏訪神社…

上城 御霊塚古墳

上城集落センターの道を少し進むと石碑群と標柱が建っている。ここが御霊塚古墳だ。 規模は小さく道路工事でギリギリまで削られているが、なんとか古墳っぽさは残っている。

小堀製作所 茨城工場

友部地区の街道沿いにある小堀製作所の工場。光学機器を生産している。 会社自体は1925年に浅草で創業し、町の誘致を受けて1961年に岩瀬に工場を置いた。2014年には創業60周年として工場がリニューアルされており、近代的な見た目をしている。

東友部の観音

岩瀬日大高校のすぐ近くにある小さな祠。中には石がある。 隣に設置された(というか密着している)石碑にはこの祠の由緒が刻まれており、それによると安永5年のもので、西国33所、秩父34所、坂東33所の百観音を巡礼した記念に嶋田次良兵衛が建立したものであ…

松田不動堂

松田地区の通り沿いにある大きめのお堂。明治初期に成田山から不動明王を招いて創建したため、成田山の大きな碑が残っている。 平成元年の広報いわせを見たところ、ちょうどその頃にお堂の改築があったようだ。 縁側には平成20年との石版があるが、広報いわ…

松田田園都市センター

通りから少し入ったところにある松田地区の公民館。他の地区が集落センターを名乗る中、ここだけ都市センターを名乗っている。 昭和50年の完成でここらへんの公民館では古い部類に入る。くたびれているように見える。

松田 白山神社

松田田園都市センターの隣りにある白山神社。松田の鎮守様だ。 岩瀬町史には宝亀元年(770年)創建、正保年中(1644〜1648)改築とある。脇にも小さな祠があり、いわせものがたりによるとここは八雲神社という末社であるらしい。

わくわく松田直売所 跡

通り沿いにある掘っ立て小屋。「わくわく松田直売所」との表札がある。 見たところしばらく営業してなさそうだ。場所が良くないのもあるが、こういった廃直売所を見る度にいたたまれない気持ちになる。

高幡 熊野神社

普段通る道からはだいぶ奥まった場所にある熊野神社。高幡地区の高幡集落と別当集落のちょうど中間にある。 別当集落の田んぼ道を進むと未舗装の山道があり、そこを200mほど進むと鳥居と階段が現れる。ここが熊野神社だ。岩瀬町史には宝亀年中(770-781年)に…

高幡公民館

高幡地区の公民館。石碑によると昭和45年の完成だそうだ。 高幡地区は加茂部二区とほぼ一体化しているのだが、互いに独自で集会場を持っている。

風音の立

高幡熊野神社から高幡集落に抜ける道にあった謎の公園的なスペース。風音の立とある。 この土地の持ち主が整備した個人所有の公園なのだろう。名前の意味は掴めないがなにか意味があるはずだ。

加茂部二農村集落センター

加茂部二区の公民館。2157万円かけて平成6年に完成したことが石碑に残されている。 また加茂部二区の南側は高幡地区とほぼ一体化しているのだが、高幡地区には高幡地区で公民館がある。加茂部二区の公民館のほうが立派なので統合しても良い気がするもののそ…

市営金井住宅(金井団地)

西小塙の集落を西に進んだところにある金井住宅。昭和60年に建設された。 こういった団地建築は何棟も並んでいる姿に見慣れているので、ここのように1棟ポツンと建っている姿は珍しく見える。 通りに向けて、ここが郵便局の積立金から融資を受けて建設された…

羽黒 新橋

筑輪川に架かる1車線分の小さな橋。新橋といい、平成元年に架け替えられた。 橋自体は平成元年より前にもあったのだが、昭和初期の地図を見ると同じ場所に石切場〜羽黒駅のトロッコの線路が通っていたことが記されている。いわば廃線跡の橋だ。 計画のあった…

吉原寿司

羽黒小学校の隣に店を構える吉原寿司。まず言っておくと美味い。 ネタが大きく鮮度も味も良い、良い“田舎寿司”といった感じの店で、握りも散らしも何度も頂いたことがある。他所の人にも自信を持って勧められる店だ。

谷中城跡 諏訪神社

谷中地区(向谷中)の家並みを歩いていると、馬頭尊とそこから山に登る道が出てくる。この山は谷中山といい、この山の頂上には谷中城があったとされている。 入り口には標柱もある。平成11年に岩瀬町教育委員会の手で設置されたらしい。 坂を上っていくと舗…

咳嗽神社(しゃびきじんじゃ)・御手洗池

磯部稲村神社の脇にある細い砂利道を行くと鳥居が見えてくる。由緒不明で、磯部稲村神社の下に置かれたものであること以外何もわからない。 咳嗽と調べると咳(せき)と出てくる。だから何?といった感じだ。境内にある碑には2015年に改修が行われたことが刻ま…

谷中橋

桜川にかかる谷中橋。谷中地区と向谷中地区を結んでいる。 今の橋が架かったのは1986年のこと。耕地整理と桜川の流路整理が同時に行われた際に橋も再整備された。 橋向かいのお堂のわきには谷中橋の碑がある。昭和4年とあるので、おそらく先代の谷中橋の石碑…

磯部桜川公園2024

今年も磯部桜川公園を見に行った。今年は去年が上手く咲きすぎたのと樹勢の減衰もあり、桜の迫力はだいぶ抑え目だ。 uratsukuba.hatenablog.jp 公園中央には石の広場がある。昭和61年の都市公園整備時に整備されたもので、磯部で出店も多数出る盛大な桜祭り…

磯部桜川公園内の薬師堂

公園北らへんにあるお堂。市文化財の月光菩薩と薬師如来が祀られている。 背後を通る道沿いには石碑が建っている。どうやらここは昭和47年に修復されたもので、中の薬師如来は県の文化財になっているようだ。

谷中 薬師堂

谷中橋の近くにある薬師堂と石碑群。桜がきれいに咲いている。 明治時代のものとされており、その脇には昭和4年の谷中橋の記念碑がある。今の谷中橋は昭和61年のものなので、おそらく先代のものだろう。 今はお堂が一つだけだが、2019年8月時点ではお堂がも…

内外食品に架かる橋

岩瀬バイパスの羽黒側の終端部付近から分岐する道。その先には薄暗いボックスカルバートがあり、そこを抜けると少し開けた場所に出る。 そこには桜川に架かる橋がある。橋の先は昭和62年創業の食肉加工会社である茨城内外食品があるだけで、一般人はまず渡れ…

公園わきの水場

磯部桜川公園の道向かいに小さな水場がある。見た感じ普通の水道だが、大きめのプレートが2枚もついている。 岩瀬町観光協会と岩瀬ライオンズクラブの連名での寄贈で、1979年のもののようだ。花見客が後片付けで使っている姿が容易に想像できる。

谷中堰

谷中橋から見える砂防ダムのような見た目の固定堰。谷中堰といい、昔はここから「上げ堀」という水路が分岐して岩瀬・青柳の田圃に水を引いてきた。 日本歴史地名大系には谷中村のページがあり、「天保年間(一八三〇―四四)に造られた谷中堰は岩瀬・青柳・…

磯部 櫻橋

桜川に架かる桜橋。この情報だけでは西区の桜橋も被ってしまうが、今回の橋は谷中から磯部に伸びる農道のものだ。 農道の割に道幅はそこそこ広く整備されており、軽自動車同士であればすれ違いもできる。 また、農道の橋の割に銘板がしっかり残っている。モ…