裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

羽黒地区

羽黒けら踊り

平成初期の広報いわせにある、羽黒けら踊りの記事。羽黒けら踊りは羽黒地区に江戸時代から伝わる踊りで、麦の豊作や義民への感謝を祈る珍しいものだったのだが、現在ではほぼ消滅したと言える状態になっている。 uratsukuba.hatenablog.jp 平成5年のいわせ…

岩瀬東部地区土地改良事業の碑

加茂部・高幡地区の広大な農地に建つ立派な石碑。このあたりのほ場整備事業の完成を記念したものだ。 内容を記す 加波の北野潤い恵む 茨城県知事 竹内藤男書 岩瀬東部地区土地改良事業竣工之碑 本地区は、岩瀬町の東部紫峰加波山の北麓に位置して、一級河川…

旧 上城公民館

上城の通り沿いにある建物。防災無線の鉄塔が立っている。 この建物は現在の上城集落センターができる以前の上城公民館だったもの。30年以上前に機能を失っているが、まだ壊されていないようだ。

羽黒石材軌道(人車軌道)

羽黒駅出て右側にある駐車場。奥には石材組合の事務所がある。 左 昭和22年航空写真右 http://railwaytrackdiagrams.web.fc2.com/mito/mito/haguro.html より 現在は駐車場となっているこの場所だが、昔は2本の側線と石材積み出しの貨物ホームがあり、ここか…

県営羽黒住宅

西友部のますみ団体のさらに奥にある県営羽黒住宅。昭和50年に入居開始したものの、現在では募集停止している。 建物の形態は県営岩瀬御領住宅と非常に似ているが、こちらは非常に荒れている。建て替える機運も薄くそのまま廃止されそうだ。

東友部の石碑群と女男松

枡箕ヶ池の東側にある石碑群。石材が強い羽黒だけあって石碑も立派だ。 左が馬頭観音塔。年代は刻まれていないが「友部村」とあることから明治以前のものだろう。 真ん中の坂東西國秩父供養塔(素性不明)を見ると、すぐ右にも石碑があることがわかった。しか…

ますみ公園墓地

桝箕ヶ池の北東にあるますみ公園墓地。組合型の共同墓地で多数の墓地がある。 看板には「宮前墓地」とあるので前はそういった名称だったのかもしれない。 何らかの古い石碑かと思っていたら、ただ墓地名を記しているだけだった。石材が盛んな羽黒はいちいち…

小貫医院の跡

岩瀬東部保育所の前にある平屋の木造建築。周囲と異彩を放っている。 ゼンリンの住宅地図1980年版 この建物は小貫医院という耳鼻科の個人医院があったもので、平成初期まで診察を続けていた。 木造平屋でも屋根の装飾に医院の名残がある。

羽黒石材商工業協同組合

羽黒駅の駐車場奥にある建物。稲田・真壁に次ぐ規模を誇る羽黒石材商工業協同組合の事務所だ。 このあたりの石材業は江戸頃には既に細々と行われていたが、水戸線が開業すると一気に規模が拡大した。明治35年には大貫、瀬尾、飯島、真家各石材店が本格的な採…

月山寺住職の復帰騒動

岩瀬で最大級の規模と歴史を誇る天台宗曜光山 月山寺。末寺を多く抱えている。 uratsukuba.hatenablog.jp 私の家でも長らくお世話になってきたが、あるときこんな文章が届いた。 檀徒宛ての文章1 檀徒宛ての文章2 追記:葬儀での対応 檀徒宛ての文章1 内…

県営小ノ池下地区ほ場整備事業記念之碑

月山寺前の信号角にある「羽黒の大地 ここに拓く」と題された大きな石碑。このあたりの田んぼの耕地整理完成を記念した、田舎によくあるタイプの石碑だ。 碑文を記す 羽黒の大地 ここに拓く 岩瀬町長 川那子明三 書 県営小ノ池下地区ほ場整備事業記念之碑 本…

稲地区 香取神社?と秋山忠信之碑

稲地区の南の方にある鳥居。境内には「海軍二等水兵秋山忠信之碑」と刻まれた立派な石碑が建っている。 脇にも小さな碑があり、「河内艦殉難者御下賜金」とある。どうやら秋山氏は軍艦河内の事故で亡くなったようだ。 脇には小さな祠がある。いわせものがた…

TOTOウォシュレットテクノ 茨城工場

西小塙地区の北端にあるTOTOの工場。名前の通りウォシュレットを製造している。 地域コミュニティ活動として年に1度ずつ夏祭りとリモデルフェアが開催されている。岩瀬の小学校では夏休みに「理想のトイレコンクール」なるものを描いて提出する宿題があり、…

ダブリュ・アイ・アール

西小塙の最北部にあるダブリュ・アイ・アール。ホームページには「合成ゴム原料粉砕」を業務内容として紹介しているが、正直何やってるのかいまいちピンとこない。 企業としては東京に本社を持つヤマシタグループの一員で、平成4年設立の資本金3000万円、従…

桜川市消防団第13分団

西友部の踏切近くにある消防団第十三分団の団庫。平成7年2月に完成したと石碑に彫られている。 13分団は西友部を拠点に稲荷橋、上城(橋本)、谷中を管轄している。岩瀬ではごくごく一般的な2階建て型の器具置場だ。

羽黒第一地区土地区画整理事業

友部地区の50号線北側に広がる田んぼ。耕地整理されていない不揃いな形が目に付くが、これには理由がある。 この田んぼがある一帯には「羽黒第一地区土地区画整理事業」という開発計画があり、耕地整理されていないエリアはその優先整備地区だった。言ってし…

上城土地改良事業記念碑

上城地区の南部橋本エリアにある上城土地改良事業記念碑。省力と題されている。 裏面には概要が刻まれている。 岩瀬町上城地区は古来から水稲を主軸とした農業が営まれ圃場も狭く外畦畔が多きく農作業には悩まされ人力に頼り重労仂が続き各農家から大型機械…

町道12号線の標識

50号と猿田地区を結ぶ町道12号線の標識。わざわざ岩瀬町高幡と付けられている。 普通の道ではこういった表示は見られないが、ここが町道であることそして岩瀬町をアピールするために取り付けられたのだろう。標識はもう錆びまくっているのでもうじき取り替え…

県道140号線のバイパスもどき

県道140号西小塙石岡線を北上していくと、いきなりセンターラインのある広い道路が現れる。この地点で右に逸れていく道が昔からの街道で、現在も県道指定を受けている。 問題がこの直進側の道。航空写真を見ると1974年では工事中で1976年には通行しているの…

東友部転作推進センター

東友部の住宅街にある公民館。なかなか変な場所にある。 昭和59年の建築で、日本家屋のような三角屋根にいきなりの豆腐建築。いかにもツギハギ建物のような感じ。 敷地内には羽黒第一土地区画整理事業の測量碑がある。未完成に終わった当事業の数少ない痕跡…

水戸 八劔神社

水戸地区中央の台地の上にある八劔神社。日本武尊を祀っている。 岩瀬町史によると、ここの創建は応永34年(1428年)。日本武尊の東夷征伐の休憩地だった場所に祠を建てたといわれている。 新し目の建物で、本殿と拝殿が一体化したシンプルな造りだ。

橋本 爪黒神社

上城地区橋本集落の突き当りにある爪黒神社。舗装された道を進むと神社のわきに着いてしまい、本来の参道は山の中に埋もれている。 石碑によれば創建は応永32年(1425年)で、明治6年には橋本村と谷中村が合併し上城村となったことにあわせ、谷中村の諏訪神社…

上城 御霊塚古墳

上城集落センターの道を少し進むと石碑群と標柱が建っている。ここが御霊塚古墳だ。 規模は小さく道路工事でギリギリまで削られているが、なんとか古墳っぽさは残っている。

小堀製作所 茨城工場

友部地区の街道沿いにある小堀製作所の工場。光学機器を生産している。 会社自体は1925年に浅草で創業し、町の誘致を受けて1961年に岩瀬に工場を置いた。2014年には創業60周年として工場がリニューアルされており、近代的な見た目をしている。

東友部の観音

岩瀬日大高校のすぐ近くにある小さな祠。中には石がある。 隣に設置された(というか密着している)石碑にはこの祠の由緒が刻まれており、それによると安永5年のもので、西国33所、秩父34所、坂東33所の百観音を巡礼した記念に嶋田次良兵衛が建立したものであ…

松田不動堂

松田地区の通り沿いにある大きめのお堂。明治初期に成田山から不動明王を招いて創建したため、成田山の大きな碑が残っている。 平成元年の広報いわせを見たところ、ちょうどその頃にお堂の改築があったようだ。 縁側には平成20年との石版があるが、広報いわ…

松田田園都市センター

通りから少し入ったところにある松田地区の公民館。他の地区が集落センターを名乗る中、ここだけ都市センターを名乗っている。 昭和50年の完成でここらへんの公民館では古い部類に入る。くたびれているように見える。

松田 白山神社

松田田園都市センターの隣りにある白山神社。松田の鎮守様だ。 岩瀬町史には宝亀元年(770年)創建、正保年中(1644〜1648)改築とある。脇にも小さな祠があり、いわせものがたりによるとここは八雲神社という末社であるらしい。

わくわく松田直売所 跡

通り沿いにある掘っ立て小屋。「わくわく松田直売所」との表札がある。 見たところしばらく営業してなさそうだ。場所が良くないのもあるが、こういった廃直売所を見る度にいたたまれない気持ちになる。

高幡 熊野神社

普段通る道からはだいぶ奥まった場所にある熊野神社。高幡地区の高幡集落と別当集落のちょうど中間にある。 別当集落の田んぼ道を進むと未舗装の山道があり、そこを200mほど進むと鳥居と階段が現れる。ここが熊野神社だ。岩瀬町史には宝亀年中(770-781年)に…