裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

北那珂(南飯田)地区

県道深沢岩瀬線 凍坂

県道257号線門毛地内から分岐し、茂木町へ向かう県道286号深沢岩瀬線。2008年までは「中飯岩瀬線」であったため、名残が随所に残っている。 この道は1965年着工1969年開通で、工事は自衛隊勝田施設学校の隊員の手で行われた。険しい山の中であるため、民業で…

岩瀬中里線 向橋

大川に架かる向橋。町道岩瀬中里線の橋で、岩瀬市街と中里・富谷東を結んでいる。 この橋で欠かせない話題が昭和61年の大水害。 町内の広い範囲で浸水や流される被害が出て、向橋もこの水害で落橋してしまった。 長らく通行できない状態が続いていたが、昭和…

バス停注意の看板

道路沿いに立て掛けられたバス停注意の看板。バス停とあるがこの近くにバス停は1つもない。30年以上前に路線ごと廃止されている。 このあたりに路線バスがあった数少ない名残だ。

入野 勝善神塔

入野本田の集落に建つ勝善神塔。文字に強い力感がある。 明治26年のものであるようだ。

中里公民館

中里集落の生活道路をずっと進んでいくと現れる公民館。かなり古そうだが、年代を示すものがないので分からない。

中里の野仏

富谷地区・中里地区の崖のそばにある野仏と石碑。通りからは見えにくい場所にある。 これらの近くには中里古墳群の標柱があるので、それと関連したものと思われる。

軽部牧場跡

中里集落の生活道路をずっと進んでいき、公民館よりも先に進むと牧場跡に行き着く。見たところもう事業は行っていないっぽい。 航空写真を見るにかなり規模の大きな牧場であったのが分かる。

門毛大内 天神宮

門毛地区の大内集落にある天神宮。遠くから見ただけではただの藪にしか見えない 草を気にせず進むと鳥居と社殿が出てくる。由緒等は全くわからないが今でも管理はされているようだ。。

門毛関場 阿弥陀如来堂

門毛の関場集落の台地下にある阿弥陀如来堂。平成5年に再建されたもの。 かつては台地上にあったらしい。

龍谷山洞源寺

門毛東部の峰にある洞源寺。曹洞宗の寺だ。 文永6年(1269年)に創建された寺で、天正14年(1586年)に真壁の伝正寺によって再興されたことで現在まで伝正寺の末寺となっている。春になると枝垂れ桜を見に来る人で賑わうらしい。 本堂はそこまで古さを感じない。…

栃木県境(西小塙真岡線 門毛)

県道257号西小塙真岡線の門毛にある県境。益子町に面している。 Googleマップでは直線の県境が引かれているが、実際は幅1mほどの用水路が県境となっている。水利関係がどうなっているのか非常に気になる用水路だ。 ちなみに、門毛という地名は下野(下“毛”野)…

門毛金場のバス転回場

門毛地区金場集落の通りに設置されたバス転回場。現在は門毛分校廃止代替のスクールバスが使用しているほか、少し前までヤマザクラGOミニの終点にもなっていた。 転回場の隣には石碑が何基か建っているほか、防火水槽や「雨巻山金場口」なる看板もある。家が…

桜川市消防団第16分団

門毛地区を管轄する16分団の倉庫。平成2年の建設だ。 他の地区では1階に消防車、2階に倉庫の細長い2階建てが主流だが、門毛は昔ながらのスタイルが残っているようだ。

門毛分校跡地(門毛多目的集会施設)

門毛の通りから入ったところにある公民館。ここに分校があった。 この分校の流れは 明治6年 洞源寺本堂に門毛小学校創立 明治9年 亀岡小学校の分校となる。 明治19年 南飯田尋常小学校の分教場となる 明治23年 北那珂尋常小学校の分教場となる 昭和22年 南飯…

門毛前根 二所神社

門毛の通りから少し入ったところにある二所神社。日月神社と八幡宮を明治6年に合祀して誕生した。 境内の石碑によると日月神社は延暦10年(791年)、八幡宮は大同4年(809年)の創建と伝えられているようだ。 境内にはもう一つ祠があるが、この祠の由緒等は全く…

凍坂山 薬師如来

県道深沢岩瀬線を進んでいくと左手に見える赤塗りの立派な門。 扁額には「薬師堂 長徳寺別當」とある。しめ縄が張られ、中央には樒(しきび)の茎葉が房として吊されている 扁額にある長徳寺は「凍坂山阿弥陀院長徳寺」といい長徳4年(998年)創建で薬師堂の近く…

門毛 大橋

県道257号線にある大橋。石板には昭和35年とあり、かなり古い橋であることが分かる。 それでも2車線しっかり確保できているあたり過去の人に先見性があったようだ。 この橋は寺川という川に架かっている。今は用水路のような見た目だが、耕地整理前は自然の…

見守り地蔵尊

赤い旗がたなびくお地蔵様。見守り地蔵尊とある。 由緒等の情報は全くないが、見ただけでも厚い信仰を受けていることが分かる。このあたりには石碑やお墓が何基もあり、信仰的に意味がある場所なのだろう。

篠ノ沢 原澤院

原澤院という名前を初めて見たのは市の地区計画図。南飯田の山中にポツンと場所がマークされている。 本当にこんな場所にお堂があるのか気になり、藪漕ぎする覚悟で見に行った。 明らかに参道入口っぽい場所は見つけたが、イノシシを防ぐ柵が設置されていた…

市営桜ヶ丘住宅

南飯田小学校のある台地の西側にある市営住宅。昭和46年に建設された。 現在は募集停止となっており、見たところ空きがないわけでもないので退去し次第解体となるのだろう。 桜ケ丘という名前は小字にないのだが、丘の上の南飯田小学校の場所にはかつて桜丘…

石裂桜(石割桜)

山口地区の通り沿いに巨石があり、その石の割れ目から1本のヤマザクラが生えていた。これは古くから石裂桜と呼ばれ、江戸時代来の桜川十二名品の一つに数えられている。 しかし、桜シーズンとなった今見ても、桜らしき木は生えていない。木は生えているが、…

山口 八幡宮

県道から桜川渡った先にある神社 八幡宮。 山口地区に入ったばかりで集落はもっともっと先なのだが、ここが山口地区の鎮守。昭和10年の拝殿がどんと構えている。

埋め込まれた二十三夜待供養塔

大月の一本松地区にある二十三夜待供養塔。天明2年 大月村とある。 擁壁に埋め込まれており、擁壁整備より石碑の場所を優先していることから、この石碑が大切にされていることが伝わってくる。 道標も兼ねているのだが、右には「坂本クワンオン道」とある。…

小塩東部の石碑群

よく整備された石碑群がある。大昔のものが多いが、手前側には最近のものが設置されている。ここの持ち主は石碑として残すのが好きなのだろう。

山口農村生活改善センター

公民館の呼び方がバラエティに富む桜川市。ここは農村生活改善センターで、昭和57年完成、58年竣工だ。 回覧板にある住所に従うと何も関係ない一般人宅に行ってしまうので注意が必要。回覧板は意外とテキトーだ。 広報いわせに完成当時の話が残っている。

スクールバス鏡ケ池転回場

鏡ケ池手前にあるスクールバスの転回場。あと200mも行けば笠間市に入る。 転回場の端には東野交通のものと思われるバス停ポールが遺っている。岩瀬町内から山口・稲田を経由し笠間へ向かう路線の名残だ。 廃止は少なくとも40年近く前のこと。よく残っている…

桜川源流 鏡ヶ池

桜川の源流とされている鏡ヶ池。古来よりどんな日照りでも決して水が涸れたことがないと言われている。 桜川の源流とされているが、実際のところはこのさらに上流が存在する。この沢から流れてきた水が鏡ヶ池に注がれ、そこから岩瀬真壁を経て霞ヶ浦へと続い…

小塩分校跡地(小塩地区多目的集会所)

県道から坂を登った高台にある小塩分校跡地。明治18年に亀岡小学校の分校として設置されたのが始まり。 その後、母学校が度々変わりながら続いてきたが、昭和59年に南飯田小学校の新校舎が完成したことで本校での受け入れ体制が整ったことに伴い、昭和60年3…

小塩の義民地蔵

小塩駐在所の隣りにあるお地蔵様。案内板には義民地蔵とある。 江戸時代、不作にも関わらず定免法で例年通りの年貢を要求する笠間藩に対し、磯部、亀岡、富谷の3村の名主が直訴を行った。笠間藩は直訴を受け入れ3割5分の減免を認めたが、幕府の神尾春央が厳…

池亀 五大力堂

池亀地区の山奥にある大きなお堂。五大力堂といい、この中に五大力菩薩像が安置されていた。 五大力堂は平将門伝説とも関わりがある。「平将門の乱の際、藤原秀郷が霊像5体を安置して将門討伐を祈ったが、討伐後は将門の善心を知り霊を慰めたと言われていま…