2024-04-26から1日間の記事一覧
50号と猿田地区を結ぶ町道12号線の標識。わざわざ岩瀬町高幡と付けられている。 普通の道ではこういった表示は見られないが、ここが町道であることそして岩瀬町をアピールするために取り付けられたのだろう。標識はもう錆びまくっているのでもうじき取り替え…
猿田地区の鎮守である三所神社。岩瀬町史には承久元年(1219年)の創建と記されている。 三所神社という名の通り、明治6年に天子崎明神、赤城明神、熊野明神の3つが合祀され現在の形となっている。境内は広々としているほか、素性不明の祠も建っている。
曽根にある立派なアパート。平成13〜15年に建設された3棟48戸の公営住宅だ。 なぜ県営住宅を曽根に建設したのかわからないが、何か理由があったのだろう。この県営住宅があることで曽根地区の高齢化率は抑えられており、猿田小学校があったころは子供が少な…
鹿島神社の隣りにある曽根農村集落センター。脇には石碑が建っており、昭和62年のものであることがわかる。 神社に隣接しているため、建物の反対側は社務所となっている。
今泉地区の丘の上にある鹿島神社。見ての通り遠くからの撮影で、神社には到達できていない。 道筋が全くわからず断念した。岩瀬町史にも、ここがかつて寺の支配のもとに置かれていたこと以外の情報は残っていない。
県道140号西小塙石岡線を北上していくと、いきなりセンターラインのある広い道路が現れる。この地点で右に逸れていく道が昔からの街道で、現在も県道指定を受けている。 問題がこの直進側の道。航空写真を見ると1974年では工事中で1976年には通行しているの…
東友部の住宅街にある公民館。なかなか変な場所にある。 昭和59年の建築で、日本家屋のような三角屋根にいきなりの豆腐建築。いかにもツギハギ建物のような感じ。 敷地内には羽黒第一土地区画整理事業の測量碑がある。未完成に終わった当事業の数少ない痕跡…
猿田小学校跡の隣にある消防団第10分団。平成7年の建築だ。 10分団は猿田を拠点に今泉、木植、曽根の入郷地区全域を管轄している。猿田ならもっと空いている場所もあるだろうに、わざわざ狭い場所に2階建てで設置するのは不思議なところだ。
羽黒小学校の隣に店を構える吉原寿司。まず言っておくと美味い。 ネタが大きく鮮度も味も良い、良い“田舎寿司”といった感じの店で、握りも散らしも何度も頂いたことがある。他所の人にも自信を持って勧められる店だ。
筑輪川に架かる1車線分の小さな橋。新橋といい、平成元年に架け替えられた。 橋自体は平成元年より前にもあったのだが、昭和初期の地図を見ると同じ場所に石切場〜羽黒駅のトロッコの線路が通っていたことが記されている。いわば廃線跡の橋だ。 計画のあった…
西小塙の集落を西に進んだところにある金井住宅。昭和60年に建設された。 こういった団地建築は何棟も並んでいる姿に見慣れているので、ここのように1棟ポツンと建っている姿は珍しく見える。 通りに向けて、ここが郵便局の積立金から融資を受けて建設された…
加茂部二区の公民館。2157万円かけて平成6年に完成したことが石碑に残されている。 また加茂部二区の南側は高幡地区とほぼ一体化しているのだが、高幡地区には高幡地区で公民館がある。加茂部二区の公民館のほうが立派なので統合しても良い気がするもののそ…
高幡熊野神社から高幡集落に抜ける道にあった謎の公園的なスペース。風音の立とある。 この土地の持ち主が整備した個人所有の公園なのだろう。名前の意味は掴めないがなにか意味があるはずだ。
高幡地区の公民館。石碑によると昭和45年の完成だそうだ。 高幡地区は加茂部二区とほぼ一体化しているのだが、互いに独自で集会場を持っている。
普段通る道からはだいぶ奥まった場所にある熊野神社。高幡地区の高幡集落と別当集落のちょうど中間にある。 別当集落の田んぼ道を進むと未舗装の山道があり、そこを200mほど進むと鳥居と階段が現れる。ここが熊野神社だ。岩瀬町史には宝亀年中(770-781年)に…
今泉公民館の道を進むと見えてくるえげつない階段。この先にお堂がある。 昔は階段しかなかったようだが今は軽トラが登れるような坂道が整備されている。昭和55年に整備されたようだ。 そして見えてくるのが阿弥陀堂。墓地に囲まれている(名字を見ると9割方“…
今泉地区北部にある今泉公民館。こじんまりとしている。 同じ木造でも猿田の色鮮やかな姿と違い、こちらは木を全面に押し出していくスタイル。これもこれでいい。
笠間との境の山麓にある今泉農村公園。昭和58年にオープンした。 少し遊具がある以外は広い野っぱらとなっており、バックネットも用意されているあたり野球場として使用できたのだろう。今は肝心の子供がいないのでどうしようもないのだけども。
木植の御蔵台と呼ばれる台地に鎮座する熊野神社。明徳2年(1392年)の創建とされている。 岩瀬町史によると元は文永8年(1271年)に熊野本宮から勧請し、木植の山中にある「湯沢」という場所で祀られていたが、明徳2年にこの地に移されたようだ。また明治37年に…
木植地区の入ったところにある公民館。今日はたまたま集まりがあったようで、迷惑をかけてはならんということで遠くから1枚だけ。
2021年3月を以て廃校となった猿田小学校。その体育館は現在も「猿田体育館」として利用されている。 この体育館は1980年完成のもの。学校体育館は地域の集まりの会場となったり、スポーツ団体も利用するので閉鎖は回避されたのだろう。 桜川市ではここの他に…
猿田地区の通り沿いにある猿田小学校跡。入郷地区(猿田,曽根,木植,今泉)を学区としていた学校で、2021年3月に閉校した。 閉校時の児童数は26人と、単純計算で1学年に5人居ないことになる。奥まった立地でなんとか存続してきたが、桜川市の財政的にも限界だっ…
猿田地区中心部にある3つの塔。消防用の火の見、防災無線、何かしらのアンテナだ。 火の見には古そうな鐘がついている。そこら辺の火の見は味気ないシンプルな鐘なのだが、ここのはかなり凝った、寺の鐘のような見た目をしている。
猿田集落を山側へ突き進むと出てくるお堂。脇の石碑には「猿田不動尊」とある。 猿田沢に面した涼しげな場所にあり、いつまでも佇めそうな静かな空間だ。不動尊の由緒は全くわからないが古いのは確かだ。
三所神社の隣りにある猿田公民館。建築自体は純粋な日本建築なのだが、建物の色合いが抜群に良い。 赤い屋根に青い壁、室外機2つと空調もバッチリというかなりのハイスペック公民館建築だ。
猿田地区の入口あたりにある墓地。その中心に小さなお堂がある。 中からお地蔵様が顔を出していた。
曽根集落の中心部にある鹿島神社。見て分かるようにひどく歪んでいる。 右側にあるつっかえ棒だけがこの神社の生命線。建っているだけ凄いがもうかなり厳しい状態だ。 脇には曽根の公民館があるのだが、同じ建物が神社側では社務所として利用されている。い…
曽根地区の通り南側にある墓地。その中心にお堂がある。 元々この地には玉泉院という寺があったらしく、現在でも馬頭観音や十一面観音が祀られている。
通り沿いにある掘っ立て小屋。「わくわく松田直売所」との表札がある。 見たところしばらく営業してなさそうだ。場所が良くないのもあるが、こういった廃直売所を見る度にいたたまれない気持ちになる。
松田田園都市センターの隣りにある白山神社。松田の鎮守様だ。 岩瀬町史には宝亀元年(770年)創建、正保年中(1644〜1648)改築とある。脇にも小さな祠があり、いわせものがたりによるとここは八雲神社という末社であるらしい。