裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

坂戸土地改良事業の碑

インターチェンジ至近のため池の脇に建つ、省力と題された石碑。

これはミスかわからないが、土地改良事業の名称が表裏どちらにも刻まれていない。

昭和54年6月の広報いわせに施工範囲が一致している坂戸土地改良区の名前があるので、とりあえず坂戸土地改良事業としておく。誤りの可能性もある。

碑文を記す

岩瀬坂戸地区は比較的自然に恵まれた土地柄であります。

この地域は古来より水稲を主軸とした農業が営まれ、圃場も未整備でありました。田植え時には水不足で、収穫時には余水に悩まされ、農作業は人力に頼り重労働が続き、各農家から大型機械の導入省力化の図れる土地基盤整備事業推進の氣運が高り、関係農家全員の同意があり町でも事業推進のため県に積極的に働きかけ認可が得られ、昭和五十二年十一月着工、総事業費五七五〇萬円、面積十五ヘクタールの圃場が昭和五十三年三月整然と完成。此の事業完成は部落住民の熱意と英知によるものである。後世に残すため記念碑を建立した次第であります。

昭和五十五年十一月十日

岩瀬町長 中田清一 謹書

裏面の名簿には、番外のような場所に筑波学園ゴルフ倶楽部から深井戸の寄贈があった旨が刻まれている。

地区のランドマークである城山に徹底的に手を入れ、ゴルフ場を建設した見返りなのだろうか。