裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

2024-03-27から1日間の記事一覧

岩瀬桜川運動公園

東中学校の隣りにある運動公園。ラスカのある運動公園よりだいぶ古いものだが、いつ完成したかなどの資料はネット上に全く残っていない。この公園の事務事業評価表には事業期間昭和55年〜とあるので、昭和55年なのかもしれない。 ※追記 オープン当初の広報い…

小塩分校跡地(小塩地区多目的集会所)

県道から坂を登った高台にある小塩分校跡地。明治18年に亀岡小学校の分校として設置されたのが始まり。 その後、母学校が度々変わりながら続いてきたが、昭和59年に南飯田小学校の新校舎が完成したことで本校での受け入れ体制が整ったことに伴い、昭和60年3…

小塩の義民地蔵

小塩駐在所の隣りにあるお地蔵様。案内板には義民地蔵とある。 江戸時代、不作にも関わらず定免法で例年通りの年貢を要求する笠間藩に対し、磯部、亀岡、富谷の3村の名主が直訴を行った。笠間藩は直訴を受け入れ3割5分の減免を認めたが、幕府の神尾春央が厳…

池亀 五大力堂

池亀地区の山奥にある大きなお堂。五大力堂といい、この中に五大力菩薩像が安置されていた。 五大力堂は平将門伝説とも関わりがある。「平将門の乱の際、藤原秀郷が霊像5体を安置して将門討伐を祈ったが、討伐後は将門の善心を知り霊を慰めたと言われていま…

小塩農村公園

小塩地区の小塩分校跡地にある小塩農村公園。昭和62年(1987年)に町内2番目の農村公園として開業した。 広報いわせ 昭和62年5月号 分校跡の校庭部分が近代的な公園として整備され、広い芝生広場は様々な屋外遊びに対応している。 今でもそこそこキレイに整…

桜川市消防団第14分団

小塩分校跡地の丘にある消防団の団庫。昭和61年の建築だ。 第14分団はここ小塩を拠点に大月、池亀、山口、福崎、坂本とかなり広い範囲を管轄している。少し心もとない気もするが、人口を考えるとこの程度でないと分団を組めないのだろう。

平沢 八大龍王神

平沢の田畑の中にある鳥居と石碑。八大龍王神とあり、調べると法華経に出てくる龍神がいるらしいのだが、複雑そうだった。 すぐ近くの高峯には「竜神山」なる別名もあるので、関係があるのかもしれない。

大岡 五輪堂稲荷神社

大岡地区の溜め池西側にある稲荷神社。正式には五輪堂稲荷神社といい、社殿の裏に五輪塔があるらしいのだが、雰囲気に負けてそこまで探索する勇気がなかったため確認できていない。 100mも離れていないところに香取神社がある立地で、同じような規模の神社が…

大岡 香取神社

通りから少し入ったところにある鳥居があり、更に進むと公民館のような建物がある。これが香取神社だ。 いかにも公民館のような入口があるが、その奥には神社らしく本殿を覆う上屋がある。大岡地区には公民館がなく、おそらくここが公民館の役割を果たしてい…

亀岡小学校開校の地

亀岡の県道沿いにある民家。敷地内に亀岡小学校開校の地の標柱がある。 亀岡小学校は明治6年に亀岡村28番地,萩原五郎左衝門氏の隠居宅を仮教場として開校した、現・南飯田小学校の源流となる学校の一つ。

福崎十一面観音堂

福崎集落の西側にある小さなお堂 十一面観音とあるが、11個の面があるとは想像もつかない。現在ここにはなく何処かへ移されているようなので、どんなものか見てみたいものだ。

稲区公民館

稲地区の公民館。年季が入っている。 稲地区は岩瀬町唯一の一文字地名。江戸初期の1605年までは磯部村の一部だった。 江戸時代は稲村(いなむら)だったが、自治体が発足する際に全地区で名前から機械的に村を取ったことで稲(いな)地区となった。

小塩駐在所

小塩地区の三差路突き当たりにある小塩駐在所。今日は街場に用があったのか、駐在所には誰もいなかった。 立地が良いためか、スクールバスのバス停も設置されている。

竜神山第一霊苑

池亀 五大力堂の脇にある看板。全く知らなかったが霊苑が造成されている。 航空写真を見ると何軒分か墓がある。池亀の本当に山の中なのだが、購入した人がいるようだ。 山梨の差出石材なる企業のもので、調べると今も墓地業者として営業しているらしい。なん…

池亀公民館 吉祥院

池亀集落の公民館である吉祥院。寺と公民館が融合した、独特な集会所となっている。 吉祥院は正式には天台宗伍大力山吉祥院弥勒寺で、は奥にある五大力堂の末寺であるらしく、五大力堂の仏像の管理者となっている。現在は月山寺美術館に展示されており、中に…

平沢の野犬

平沢を歩いていると、いきなり犬が飛び出してきた。子犬のようで周囲には親犬含め5匹ほどうろついていた。危険で仕方ない。

大神台遺跡

平沢地区に入るところにある大地。かなりの登り坂だ。 登りきったところに案内板がある。この台地は大神台というらしく、集落や駅家の遺跡があるとのこと。下野国府と常陸国府、笠間の間の拠点だったようだ。

間中農村集落センター

間中集落の東端にある農村集落センター。建物だけで、説明するような石碑はない。 今日は市の公用車らしき車が停まっていたので、何かやっていたのかもしれない。 完成は昭和57年。当時のことが広報いわせに残っている。

町長道路に電柱

今日の町長道路。何にもなかった道路沿いに、いつの間にか電柱が立っていた。 道路沿いに家でも建つのだろうか。 そんな事考えながら見ていたら、突然電線が途切れた。終点は本当にちっっっちゃい街灯だった。この街灯のためにあんな立派な電柱を立てまくっ…