福崎地区の旧道入口にある「桜川の源に美田拓く」と題された立派な石碑。このあたりのほ場整備の記念碑だ。
石碑の脇を見ると、東日本大震災の際に一度倒壊してしまったらしく、令和元年とつい最近になってやっと復旧されたようだ。
内容を記す
桜川の源に美田拓く
岩瀬北部土地改良区記念之碑
本地区は岩瀬町の北東部に位置し、「謡曲」桜川に名高い桜川の上流地域に拓けた純農村である。北は五二◯米の高峯を以て栃木県と境し土壌は概ね花崗岩の風化による砂壌土で良質米の産地として知られている。水源は主として桜川並びに支流布川に依存してきたが山沢が浅く砂質土のため保水力に乏しく水量も充分とは云えず県内でも有数の旱魃地帯に数えられていた。近年深井戸による地下水を吸上げての灌水も行われて来たが抜本的な灌漑対策となっていなかった。從って恒久的な水源の確保には異状なまでの関心を示しそれが基盤整備に対する要望ともなり、加えて永年の石材採掘と近年の山砂利の採取等から出水時の流砂による河床の上昇が著しく降雨毎に流域耕地への冠水、埋没等荒廃の度を加えて来ていた。
近年急速な農業機械化に対応して近代的な農法を拓こうとする氣運が盛り上り幾多の困難を克服しても基盤整備を進めようとの要望が高まって来ていた。昭和五十二年町並びに関係諸機関の指導のもと数次にわたり日夜を分たぬ会合の末、用水のパイプライン方式の採用など地域の実情を踏まえた複合的、効果的な工事計画が示されたことにより桜川上流十三集落の関係地権者四五〇名の同意が得られ待望の基盤整備事業が実施されることになった。
併せて建設省予算による一級河川桜川、布川、砂防関連大沢川の改修、地域振兴計画の一環として県道二線の改修、幹線農道七線、集落間を結ぶ町道の改修舗装等も加える事業計画も示された。昭和五十五年農林水産省より県営ほ場整備事業として採択されこゝに岩瀬北部土地改良区が設立され、同年十月大月、坂本地区に土地改良の槌が下ろされました。以来七年の歳月を経て県並びに関係諸機関の指導と町の御配慮のもと工事請負業者の努力が傾注されて、總工費三十一億九千万余円を投じ、總面積二九〇ヘクタール余の圃場が整備され面目を一新して素晴しい沃野が開かれたのである。換地については河川並びに地区内道水路改修の共同減歩率が十四・五%、換地設計基準に從って農地の集団化が図られ農業経営に向けての基盤が定まりそれを核としての農村生活環境の整備も実現した。十アール当りの工事費は一一〇万余円、そのうち自己負担は三分の一、五年据置二十年償返の長期融資により行われた。
かくして受益地は寸毫の不安もなく多角的、計画的営農の基礎が確立し土地生産性を昂めて地域住民の福祉の発展が約束される豊かな農村の建設が期待されるに至ったのである。
関係者がよく協力一致して本事業の遂行に当られた功績を讃え県並びに町、関係諸機関の御支援に深く感謝し幾多の辛酸を克服した大要を明記して永久の記念となし後世に伝うるものである。
昭和六十二年十一月十八日
岩瀬北部土地改良区理事長 永田 清 撰文