谷中橋から見える砂防ダムのような見た目の固定堰。谷中堰といい、昔はここから「上げ堀」という水路が分岐して岩瀬・青柳の田圃に水を引いてきた。
日本歴史地名大系には谷中村のページがあり、「天保年間(一八三〇―四四)に造られた谷中堰は岩瀬・青柳・本新田・西新田各村一帯の水田の用水路として使われている」とあり、年号以外は概ね同じようなことを書いている。
しばらく使われてきたが、そもそもの田圃が80年代の都市化によって消えたため、耕地整理後には取水機能は大幅に弱められた。50mほど上流には可動堰が新設されており、主な取水はそこから行われている。
あの大きな見た目はほぼモニュメントのような立ち位置になっている。