裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

北那珂(南飯田)地区

見守り地蔵尊

赤い旗がたなびくお地蔵様。見守り地蔵尊とある。 由緒等の情報は全くないが、見ただけでも厚い信仰を受けていることが分かる。このあたりには石碑やお墓が何基もあり、信仰的に意味がある場所なのだろう。

篠ノ沢 原澤院

原澤院という名前を初めて見たのは市の地区計画図。南飯田の山中にポツンと場所がマークされている。 本当にこんな場所にお堂があるのか気になり、藪漕ぎする覚悟で見に行った。 明らかに参道入口っぽい場所は見つけたが、イノシシを防ぐ柵が設置されていた…

市営桜ヶ丘住宅

南飯田小学校のある台地の西側にある市営住宅。昭和46年に建設された。 現在は募集停止となっており、見たところ空きがないわけでもないので退去し次第解体となるのだろう。 桜ケ丘という名前は小字にないのだが、丘の上の南飯田小学校の場所にはかつて桜丘…

石裂桜(石割桜)

山口地区の通り沿いに巨石があり、その石の割れ目から1本のヤマザクラが生えていた。これは古くから石裂桜と呼ばれ、江戸時代来の桜川十二名品の一つに数えられている。 しかし、桜シーズンとなった今見ても、桜らしき木は生えていない。木は生えているが、…

山口 八幡宮

県道から桜川渡った先にある神社 八幡宮。 山口地区に入ったばかりで集落はもっともっと先なのだが、ここが山口地区の鎮守。昭和10年の拝殿がどんと構えている。

埋め込まれた二十三夜待供養塔

大月の一本松地区にある二十三夜待供養塔。天明2年 大月村とある。 擁壁に埋め込まれており、擁壁整備より石碑の場所を優先していることから、この石碑が大切にされていることが伝わってくる。 道標も兼ねているのだが、右には「坂本クワンオン道」とある。…

小塩東部の石碑群

よく整備された石碑群がある。大昔のものが多いが、手前側には最近のものが設置されている。ここの持ち主は石碑として残すのが好きなのだろう。

山口農村生活改善センター

公民館の呼び方がバラエティに富む桜川市。ここは農村生活改善センターで、昭和57年完成、58年竣工だ。 回覧板にある住所に従うと何も関係ない一般人宅に行ってしまうので注意が必要。回覧板は意外とテキトーだ。 広報いわせに完成当時の話が残っている。

スクールバス鏡ケ池転回場

鏡ケ池手前にあるスクールバスの転回場。あと200mも行けば笠間市に入る。 転回場の端には東野交通のものと思われるバス停ポールが遺っている。岩瀬町内から山口・稲田を経由し笠間へ向かう路線の名残だ。 廃止は少なくとも40年近く前のこと。よく残っている…

桜川源流 鏡ヶ池

桜川の源流とされている鏡ヶ池。古来よりどんな日照りでも決して水が涸れたことがないと言われている。 桜川の源流とされているが、実際のところはこのさらに上流が存在する。この沢から流れてきた水が鏡ヶ池に注がれ、そこから岩瀬真壁を経て霞ヶ浦へと続い…

小塩分校跡地(小塩地区多目的集会所)

県道から坂を登った高台にある小塩分校跡地。明治18年に亀岡小学校の分校として設置されたのが始まり。 その後、母学校が度々変わりながら続いてきたが、昭和59年に南飯田小学校の新校舎が完成したことで本校での受け入れ体制が整ったことに伴い、昭和60年3…

小塩の義民地蔵

小塩駐在所の隣りにあるお地蔵様。案内板には義民地蔵とある。 江戸時代、不作にも関わらず定免法で例年通りの年貢を要求する笠間藩に対し、磯部、亀岡、富谷の3村の名主が直訴を行った。笠間藩は直訴を受け入れ3割5分の減免を認めたが、幕府の神尾春央が厳…

池亀 五大力堂

池亀地区の山奥にある大きなお堂。五大力堂といい、この中に五大力菩薩像が安置されていた。 五大力堂は平将門伝説とも関わりがある。「平将門の乱の際、藤原秀郷が霊像5体を安置して将門討伐を祈ったが、討伐後は将門の善心を知り霊を慰めたと言われていま…

間中農村集落センター

間中集落の東端にある農村集落センター。建物だけで、説明するような石碑はない。 今日は市の公用車らしき車が停まっていたので、何かやっていたのかもしれない。 完成は昭和57年。当時のことが広報いわせに残っている。

大神台遺跡

平沢地区に入るところにある大地。かなりの登り坂だ。 登りきったところに案内板がある。この台地は大神台というらしく、集落や駅家の遺跡があるとのこと。下野国府と常陸国府、笠間の間の拠点だったようだ。

平沢の野犬

平沢を歩いていると、いきなり犬が飛び出してきた。子犬のようで周囲には親犬含め5匹ほどうろついていた。危険で仕方ない。

池亀公民館 吉祥院

池亀集落の公民館である吉祥院。寺と公民館が融合した、独特な集会所となっている。 吉祥院は正式には天台宗伍大力山吉祥院弥勒寺で、は奥にある五大力堂の末寺であるらしく、五大力堂の仏像の管理者となっている。現在は月山寺美術館に展示されており、中に…

竜神山第一霊苑

池亀 五大力堂の脇にある看板。全く知らなかったが霊苑が造成されている。 航空写真を見ると何軒分か墓がある。池亀の本当に山の中なのだが、購入した人がいるようだ。 山梨の差出石材なる企業のもので、調べると今も墓地業者として営業しているらしい。なん…

小塩駐在所

小塩地区の三差路突き当たりにある小塩駐在所。今日は街場に用があったのか、駐在所には誰もいなかった。 立地が良いためか、スクールバスのバス停も設置されている。

福崎十一面観音堂

福崎集落の西側にある小さなお堂 十一面観音とあるが、11個の面があるとは想像もつかない。現在ここにはなく何処かへ移されているようなので、どんなものか見てみたいものだ。

亀岡小学校開校の地

亀岡の県道沿いにある民家。敷地内に亀岡小学校開校の地の標柱がある。 亀岡小学校は明治6年に亀岡村28番地,萩原五郎左衝門氏の隠居宅を仮教場として開校した、現・南飯田小学校の源流となる学校の一つ。

平沢 八大龍王神

平沢の田畑の中にある鳥居と石碑。八大龍王神とあり、調べると法華経に出てくる龍神がいるらしいのだが、複雑そうだった。 すぐ近くの高峯には「竜神山」なる別名もあるので、関係があるのかもしれない。

桜川市消防団第14分団

小塩分校跡地の丘にある消防団の団庫。昭和61年の建築だ。 第14分団はここ小塩を拠点に大月、池亀、山口、福崎、坂本とかなり広い範囲を管轄している。少し心もとない気もするが、人口を考えるとこの程度でないと分団を組めないのだろう。

小塩農村公園

小塩地区の小塩分校跡地にある小塩農村公園。昭和62年(1987年)に町内2番目の農村公園として開業した。 広報いわせ 昭和62年5月号 分校跡の校庭部分が近代的な公園として整備され、広い芝生広場は様々な屋外遊びに対応している。 今でもそこそこキレイに整…

さくらマラソン2024

今年から復活したさくらマラソン。岩瀬町時代から続くイベントだ。 1.5,2,3,5,10kmの部があり、10kmになるとラスカから南飯田の方まで行ってしまう。ハーフマラソンを求める声もあるようだが、21kmなんて距離走らせるコースを作るのはなかなか厳しそうだ…

桜川市岩瀬地区(旧岩瀬町)の都市計画

令和3年3月時点の都市計画図を基に、マイマップ上にマッピングした。 市で出している都市計画図ではあるものの、最終告示の日が版によってバラバラなこともあり正確さは保証できない。

西区富谷線

元岩瀬〜富谷間 西区の旧国道50号からバイパスを経て、富谷の県道41号線に至る都市計画道路 西区富谷線 元岩瀬から先は町長道路と似たような長閑さだが、唯一異なるのはその需要。 「富谷牛乳(中田元町長が経営)のための道路」と揶揄されるほど何もない岩…

農道の線路

富谷にある普通の田んぼ道。 しかし土留め工を見てみると、なんとレールが使われている。 流石に大型の列車が走るようなものではなく軽便鉄道用の軽量レールだと思うが、鉄道が敷かれたこともない富谷でレールが使われているのは不思議なものだ。

JA岩瀬町ふれあい食材センター

富谷地区北東部の富谷集荷場の一角にあるふれあい食材センター。JA岩瀬町だった平成4年に大豆加工処理施設として設立された。 完成時の町報 現在ここでは岩瀬町で多く穫れる大豆を加工して豆腐を生産している。 「桜っ娘」という名で学校給食やJAの食材宅…

富谷山 大雲寺

標柱 富谷地区の北の通りにある曹洞宗富谷山大雲寺。 富谷で有名な富谷観音でも山号は“施無畏山”であるため、富谷山を山号とする寺院はここが唯一となっている。 楼門と本堂 この規模の寺院にしては珍しく楼門がある。立派とは言わないが見栄えは大変良い。 …