岩瀬市街地を東西に貫く国道50号岩瀬バイパス。まず1980年4月に上城~元岩瀬交差点が開通、12月になって元岩瀬交差点~鍬田が開通し、暫定2車線ながらようやく全線開通となった。
全線4車線+側道付きという田舎にしては超高規格の道路で、岩瀬の発展に多大なる貢献をしてきた。
特徴は何といっても側道のアート群だろう。石匠のみちという名前で側道が整備されており、石の街岩瀬の象徴となっている。
また特徴的なのが歩道橋群。岩瀬はバイパスの北にも南にも市街地が広がるため歩道橋が必要なのだが、先にも触れたとおり岩瀬バイパスは4車線+側道という構成のため、これを跨ぐ歩道橋も異様にデカい。
桜川市内には歩道橋が岩瀬市街地の4つのみで、そのうち3つがここ岩瀬バイパスに架かっており、岩瀬市街地の特徴的な景観といえる。
このほか岩瀬バイパスは岩瀬のまちづくりにも多大な貢献をしている。
バイパスの完成直後に無秩序な開発、スプロール化が起こるおそれが指摘された。町ではバイパス沿いを町主導で開発することを決め、1982年に岩瀬駅前土地区画整理事業組合を設立しバイパス沿いの開発を決行。
見事、現代に生き残る岩瀬町の基盤をつくることに成功した。バイパスがなければ、今のようなギリギリ快適に暮らせる岩瀬は存在し得なかっただろう。
WonderGOO、TSUTAYA、パワーマート、ガスト、元気寿司の撤退という暗い話題もあるものの、岩瀬バイパス沿いの街並みは確実に岩瀬の生き残りに貢献している。
岩瀬バイパスとその整備に尽力した先人に感謝したい。