旧50号線を県西病院あたりから分岐し、駅前商店街を通って青柳でまた旧50号線に合流する通り。この道は昔「結城街道」と呼ばれ、今の国道50号線の前身となる主要な街道だった。
駅前住民にはこの道を「なかみち」と呼ぶ人もいる。どこから出てきた名前なのか、漢字が何なのかすらよく分かっていない。
西区
西区では真壁方面への街道と交差している。古くからの商店もあり、50号バイパス沿いに中心が移るまでは岩瀬でいちばん人の集まる場所だった。
東区2(本町)
西区と東区の間には市の神と二十三夜塔が通りに面して建っている。昔からの通りであることの表れだ。
ここから東区2、本町に入る。駅前で唯一商店街らしい商店街が生き残っているエリアだ。
途中、京扇のT字路には岩瀬町道路元標が設置されている。この場所は明治大正のころまで結城街道(現国道50号線)から益子街道(現県道41号線)が分岐していた場所で交通の要衝だった。この標柱はそのころの名残でもある。
東区1(旭町)
駅前通りを越えるとそこから東区1、旭町に入る。
50号バイパスに中心が移るまでは岩瀬一の商業地として機能していたのだが、ひとたび中心でなくなった途端に一気に廃れた。今ここで営業している商店は大黒屋、ナカタメガネ、つかもと履物屋の3軒のみ。大体の商店は店を畳み、高齢化率がとんでもなく高いだけの街と化している。
こうして岩瀬の旧市街を通り抜け、青柳地区で旧50号線に合流する。この通りには岩瀬の歴史が詰まっている。