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茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

南飯田小学校

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岩瀬北部(旧北那珂村)全域を学区とする南飯田小学校。2023年現在100人程度の児童が学んでいる。

現在の岩瀬プリンス電機や北部保育所

そんな南飯田小学校だが、1970年代までここには小学校ではなく中学校があり、小学校は南飯田集落の中心部にあった。

年表でまとめると

  • 明治6年1873年)亀岡小学校・亀岡小学校大月分校・門毛小学校として開校
  • 明治7年(1874年)富谷小学校が開校。亀岡小学校校舎が亀岡698に完成
  • 明治9年(1876年)門毛小学校が分校となる
  • 明治18年(1885年)大月分校が廃止され、小塩分校を設置
  • 明治19年1886年)亀岡,門毛,富谷小学校の三小学校を統合し南飯田小学校が開校
  • 明治21年1888年)校舎が完成(現・岩瀬プリンス電機敷地内)
  • 明治22年(1889年)北那珂村が発足し、北那珂尋常小学校と改称。
  • 明治23年(1890年)富谷・門毛・小塩に分教場を設置
  • 明治26年1893年)北那珂尋常高等小学校と改称
  • 昭和16年(1941年)国民学校令が施行され、北那珂国民学校と改称
  • 昭和22年(1947年)北那珂小学校と改称
  • 昭和30年(1955年)町村合併により南飯田小学校に名称復帰
  • 昭和48年(1973年)現在地(桜丘中学校跡地)へ学校移転
  • 昭和50年(1975年)富谷分校が岩瀬小学校の下へ移る
  • 昭和59年(1984年)現校舎が竣工
  • 昭和60年(1985年)4月 門毛・小塩分校を統合

といった流れになっている。明治期の移転は岩瀬北部の中心地が亀岡から南飯田に移るのに合わせて学校も南飯田に移転していったといった流れで、昭和の移転は分校廃止に向けて本校の収容量を増やすために、集落中心部から土地の余裕のある中学校跡に移ったものと考えられる。

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小学校の入り口前にはスクールバスの転回場が整備されている。右端には真っ暗だが大きな忠魂碑も建っている。

転回場の整備は平成12年と意外に最近のこと。2分校を廃止した見返りとしてスクールバスを走らせている南飯田小学校はこういった設備も欠かせない。

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