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大泉分校跡地(大泉農村集落センター)

大泉地区の旧県道から少し入ったところにある大泉農村集落センター。昭和58年まで坂戸小学校の大泉分校の置かれていた、分校跡地だ。

表札が当時のまま残っている。

跡地には大泉農村集落センターが建てられている。平たく言えば公民館で、1993年に完成した。

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また、他の分校跡の例に漏れずここにも消防小屋が建っている。地域の中心地であることの証左だ。

敷地の端には一色氏書の大泉分校の記録が残されている。

明治5年に富谷小学校の大泉分校として金性寺で始まり、明治9年に飯渕を学区に加えることで大泉小学校として独立。翌年に現地に移転しそこから分校化を経て、106年間同じ土地で教育を継続していた。

しかし地区の児童数減少で分校維持が厳しくなり、坂戸小学校本校の収容力増強や道路・バス環境の整備の上、昭和58年(1983年)3月末に分校は廃止された。

碑の脇には当時の遊具が残っている。ジャングルジムと滑り台が組み合わさったユニークなものだ。当時は子供たちに人気だっただろうが、今は立ち尽くすのみだ。

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