猿田地区の通り沿いにある猿田小学校跡。入郷地区(猿田,曽根,木植,今泉)を学区としていた学校で、2021年3月に閉校した。
閉校時の児童数は26人と、単純計算で1学年に5人居ないことになる。奥まった立地でなんとか存続してきたが、桜川市の財政的にも限界だったようだ。
この学校の歴史は
- 1876年(明治9年) - 曽根に知新小学校、木植に木植小学校が開校
- 1878年(明治11年) - 知新小学校を曽根小学校と改称
- 1884年(明治17年) - 羽黒小学校の曽根分校となる
- 1891年(明治24年) - 独立し曽根小学校となる
- 1904年(明治37年)5月15日 - 東那珂第一尋常小学校開校(曽根、猿田、今泉、木植、高幡の一部を学区とする。この日を創立記念日とする)
- 1941年(昭和16年) - 東那珂第一国民学校と改称
- 1947年(昭和22年) - 東那珂第一小学校と改称
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 町村合併により岩瀬町立猿田小学校と改称
- 1988年(昭和63年)5月15日 - 現校舎竣工
- 2021年(令和3年)4月1日 - 廃校。羽黒小学校に統合
という流れ。猿田が第一小学校を名乗っているチグハグ感は坂戸小学校に似たものを感じる(坂戸小学校も1955年まで岩瀬第一小学校だった)。
市内でも新しい方の校舎なのでだいぶ勿体無いのだけど、既に学年1クラス体制だった1988年当時でも統合より新校舎建設を選ぶ理由があったのだろう。岩瀬では当時の教育長の力もあったのだろうと噂されている。
体育館は現在も猿田体育館として利用されている。
現在は学区から羽黒小までスクールバスが出ている。バス停はヤマザクラGOミニの余り物を活用している。