岩瀬地区(市街地以外)
岩瀬南飯田線の急カーブ 市街地〜南飯田の道中にある急カーブ。不自然に道幅が広がり、歩道もここだけ整備されている。 計画では、ここは交差点になる予定だった。 未成交差点の様子 縁石は交差点の配置で、横断歩道を描くスペースもある。舗装は現道のほか2…
元岩瀬の北端にある昭和金属。1943年に東京で創業し、1971年に本社ごと岩瀬に移転してきた。 火工品を生産しており、中でも信号弾や銃用雷管など防衛省との取引があるのが特徴的だ。昼過ぎ辺りに近くに行くと、信号弾の試し打ちをしている様子が見られる。 …
橋とプレート 町長道路と大川の交差部に架る水道橋。 この名前は町長が熱烈な巨人ファンとかそういった話ではなく、このあたりの地名である大字岩瀬字水道から採っている。
スクールバス路線図 現在岩瀬町内には 岩瀬小学校〜富谷地区 坂戸小学校〜大泉・長方・下泉地区 南飯田小学校〜小塩・門毛地区 羽黒小学校〜猿田地区 の4路線のスクールバスが走っている。これらは全て小学校や分校の廃止に伴う代替措置として設定されたもの…
岩瀬の2024年の始まり。今年も50人以上が展望台に集まった。 1年で1番賑やかな富谷観音。今年は焚き火がすぐに終わってしまったようだが、甘酒とみかんはいつも通り貰えた。あまり寒くなかったので焚き火は要らなかったのかもしれない。 朝焼けの富士山。今…
50号バイパスと桜川の交差部西側にある地下道。近くの青木堰の名前を取って青木関地下道と名付けられている。 ここの整備は1978年。岩瀬バイパスを通す際に道路の南北交通を確保するために設置されたが、幅が非常に狭いため現代の車では通るのは避けたほうが…
西桜川から50号バイパス北側の農地に抜ける若宮地下道。若宮はこのあたりの小字(大字岩瀬字若宮)から採っており、岩瀬バイパス整備中の1979年に開通した。 題名に変態ガードと書いたが、この地下道は市街地に近い暗所ということで、岩瀬西中学校へ通学する…
岩瀬はサクラの町。町じゅうに桜の名所がある。 その中でも昔から名所と言われている桜の1つが「青柳の糸桜」。青柳地区の村社熊野神社にあり、室町時代から語り継がれる立派な枝垂れ桜だ。能の謡曲「桜川」にも出ている。 しかしこの桜は昭和44年に植えられ…
御嶽山山頂付近にある御嶽神社。山裾にある天賀谷氏が勧進した、木曽御嶽山信仰の神社だ。 境内の「御嶽山鎮座百年祭 昭和49年」と刻まれた石碑から明治7年ごろの創建と思われる。また、現在の社殿は昭和11年(1936年)の建築だ。 御嶽山信仰らしく、神社裏に…
2023年が始まった。岩瀬盆地が初日の出に照らされている。 ここ富谷山は岩瀬民の初日の出スポットとして人気があり、日の出直前になるとかなり人が多い。早い人は4時頃から登る人もいる。私もその一人だ。 初日の出を見た後、大半の人はすぐ近くの富谷観音で…
御嶽山の入口。長らく公衆トイレがとても使えないような状態で放置されていたが、ついにこの度新トイレが整備された。 トイレのほか、案内看板と車4台分ほどの駐車場が整備されている。 ここから御嶽山頂上までは徒歩20分ほど。
北栗山の頂上にある水道の犬田配水場。簡易水道時代から長くこの場所で水を送っている。 北栗山はせいぜい標高70mで、市街地との標高差は20m程度。それでも水事業では大きな違いを生み、この高地から市街地に広く水を行きわたらせている。
北栗山の頂上付近にある茨城岡野機電の本社兼工場。岡野電線の子会社 岡野電線製作所として1968年に設立された。 親会社の岡野電線は古河電工のグループ会社となっており、その管理体制を活かして光ファイバ端末やメタルケーブル端末の加工を行っている。
岩瀬小学校の校歌の初っ端に出てくる「北栗山」。みんな歌詞は覚えていても、多くの児童は北栗山が何かを知らないまま卒業していく。そんな北栗山を見ていこうと思う。 北栗山の登山道。民家は続き坂もキツイほどではなく、登山してる感は皆無だが、それは当…
北栗山の頂上にある犬田ふるさとコミュニティセンター。平成11年に竣工した。 この公民館の先々代は1958年完成の「岩瀬町青年研修所」という施設で名前の通りの用途に使用されていたが、老朽化に伴い1986年で廃止された。その後、犬田地区公民館が設置され、…
岩瀬地区と富谷地区を渡す県道41号線の橋。名前は「虎丸橋」。 虎丸橋から北に100m。もう閉店しているが、鮮魚屋さんの名前は「虎丸」。 このように、富谷地区の南端あたりには虎丸の名が付くものが多い。 「なぜ虎丸か」というと、戦国時代の富谷地区にあっ…
富谷の林道富谷入野線の入口にある星の宮幼保園。 私立の幼稚園で、岩瀬ではかなりの人気がある。私もここの卒園生だ。 私の頃はまだ「星の宮幼稚園」だったが、いつの間にか幼保園になっていた。その原因には認定こども園とかそのへんの制度が関わってくる…
一度は行ってみたいと思っていた富谷山のここ。登山コースとしてこのあたりが整備されているという話を聞き、登ってみることにした。 富谷集落から登山道、展望台脇を進むこと1時間。展望台までは何度も登ったことがあるが、その先となると初めての経験だ。…
富谷山の旧車道を登ると途中に木の生えてないスペースがある。ここに水戸女子の林間教場があった。 この教場は水戸女子高校が「水戸女子商業高等学校」と名乗っていた1971年に設置された。長い間2泊3日の宿泊研修に使用されており2009年度で使用を停止したの…
県道41号線の犬田バイパス 犬田地区や西区の道幅が狭いことから整備され、1990年に開通。犬田の境地区から鍬田地区の国道50号線を結んでいる。 途中、岩瀬跨線橋では水戸線を越える。犬田バイパスほぼ唯一の構造物で、ここだけは1988年に完成している。 本来…
社殿 犬田地区の中央部にある犬田神社。 犬田地区のメインストリートである真壁街道からはそこそこ離れており、人はまばら。周りの家はあっても最近になって建てられたものばかり。 明治初期の地図 “香取神”とある 元は香取神社と八幡神社で別々の社であった…
富谷集落にある立派な旅館の跡。旅館名やいつ店終いしたかなどの情報はないが、昭和59年時点で既に「昔の面影を残す旅館」という紹介のされ方をしている。 屋根がやられているので、建物としての寿命はもう残りわずかだろう。
富谷観音近くの富谷山中腹部にある展望台。標高200m程度の場所にある。 ここの完成は昭和54年。当時は富谷山がまだ観光開発される前で、観音さまだけの静かな山だった。 そんな富谷山の開発計画の先陣を切って誕生したのがこの展望台。町報にあるように、開…
御嶽山~雨引山の登山道を歩くと見えてくるNTT岩瀬中継所。そこから1本の立派な道が伸びている。 少し歩いてみることにした。 uratsukuba.hatenablog.jp 途中砂利道になったり今度はコンクリート舗装になったり、ずっとグネグネしていたりと忙しい道。 する…
東区踏切から御嶽山に続く道に現れる、門柱付きの柵に囲まれた敷地。現在はただの空き地だが、都市計画図に昔の名前が残っている。 この場所にあったのは町立の心身障害者福祉作業所。市街地から隠れたこの場所で、障害者の方々が作業を行っていた。 現在同…
富谷山の西部は富谷山ふれあい公園として整備されており、森の中を遊歩道が縦横無尽に張り巡らされている。1996年オープンと、岩瀬町にまだ体力があったころの施設だ。 観光道路の終端部には展望東屋と芝生広場が整備されている。私が幼稚園の頃も遠足でここ…
富谷集落または久原地区から伸びる林道を進んでいくと、どちらもこの入口にたどり着く。今日は霧が濃い。 この先は富谷観音の境内。富谷観音は正式には天台宗の「施無畏山 宝樹院 小山寺」といい、天平7年(735年)に聖武天皇からの勅願により行基が開山したと…
大川にかかる榎田橋。榎田は大字岩瀬の小字である榎田という地名から取っている。おそらくこのあたりの地名が榎田なのだろう。 この橋の銘板は橋の縁に埋め込まれているタイプ。昭和63年の橋のようだ。 ちょうどこのころ耕地整理と大川の流路整理が行われて…