富谷集落または久原地区から伸びる林道を進んでいくと、どちらもこの入口にたどり着く。今日は霧が濃い。
この先は富谷観音の境内。富谷観音は正式には「施無畏山 宝樹院 小山寺」といい、天平7年(735年)に聖武天皇からの勅願により行基が開山したと伝えられている。
開山当時は「長福禅寺」であったが、小山下野守朝政がここに大いに信仰したことから久寿2年(1155年)に「小山寺」と改名している。
ここからかつて天明の頃に山崩れが起こったと言われる谷筋を抜けると、山門が見えてくる。
富谷観音の山門は仁王門とも呼ばれ、享保17年(1732年)に建立された建物。
平成23年(2011年)から平成25年(2013年)にかけて解体保存修理が行われており、整った風貌にコンクリートの土台という、老朽化を感じさせない見た目となっている。
山門の裏には神社で言うところの手水舎のようなものが設置されている。倶利伽羅竜王なる石仏?もあり、看板曰く「当山の守護神」とのこと。
済ませたところで、いよいよ階段を登っていく。
本堂が見えた。元禄9年(1696年)の建立で、五間四面の立派な造り。秘仏である十一面観世音菩薩を中心に、毘沙門天王や不動明王が安置されている。(十一面観世音菩薩は62年に一度の開帳)
次は富谷観音の名物でもある三重塔。下妻城主の多賀谷朝経を大檀那として寛正6年(1465年)に建立された、関東以北で最も古い木造建築であるらしい。
塔の下には聖武天皇の第三準皇后である「天音姫」の遺骨が納められているといわれている。
最後は百観音堂を兼ねた社務所。中には名前通り百観音が安置されている。社務所は普段無人だが、大晦日と正月三が日には人が居り、お守りやおみくじを売っている。
今では寂れた山寺のような立場に燻っているが、持っているモノはこのあたりでも群を抜いている。何かのキッカケで大化けできる力はある。