東区3にある岩瀬中央児童公園。旧50号線北側に面している。遊具の老朽化こそあるものの、少し大きめの普通の公園だ。
しかし、この土地の変遷は墓地→岩瀬小学校→農協本所 兼 食糧事務所 兼 商工会→岩瀬保育所→中央児童公園と、かなり変化している。
墓地
この場所にあった墓地は、水戸線開通で駅前が発展し土地不足が見込まれたため、土地を捻出するべく移転となった。多くが山王墓地に移ったといわれている。
岩瀬小学校
次の動きは明治27年(1894年)。墓地跡に岩瀬小学校が移転した。現在の道路挟んだ反対側の駐車場まで全て小学校の敷地であった(当時は現在の道路が存在しない)。
しかし、今度は昭和14年(1939年)に現在の旧50号である新道が開通。岩瀬小学校の敷地は南北に分断されることになったため、岩瀬小学校は鍬田へ再移転することになった。この分断北側の土地が今の中央児童公園だ。
道路南側
分断された小学校跡地の道路南側には、昭和16年(1941年)に岩瀬町役場が設置された。
岩瀬町が北那珂・東那珂と合併し新・岩瀬町となったあと、1961年には岩瀬町役場が今の東区に移転。1963年には役場跡地に主婦の店岩瀬店(→マルカワ)が創業した。
1980年にマルカワが岩瀬バイパス沿いに移転すると、その後は駐車場として今に至っている。
道路北側(公園側)
道路北側に取り残された校舎は、総合庁舎として食糧事務所や商工会、青果市場で使用された。
その後昭和32年(1957年)に岩瀬保育所が設置され、保育所・農協・食糧事務所・商工会と詰め込まれたが、保育所以外は少しずつ町内各地に移転し、道路北側は保育所の敷地となった。
その保育所も昭和53年には現在の桜川沿いに移転し、跡地には岩瀬中央児童公園が整備された。
平成6年には岩瀬中央児童館が建設されて、今に至っている。