
水戸線に沿って伸びる「裏道」こと鎌倉街道沿いに、半分だけソーラーの敷かれた広い土地がある。
この場所に友常医院が、さらにその前には私立の女学校がこの場所にあった。

昭和初期の地図には文のマークが記されている。資料によって記載に差があるため、並立して記すと
まず昭和3年の『西茨城郡郷土史』によると、この場所にあったのは「岩瀬技芸女学校」という学校で、地元の名家で衆議院議員も務めた仙波兵庫の長子 仙波清綱が昭和2年3月に創立したとある。
次に平成8年3月の『広報いわせ』の連載「いわせものがたり」によると、この場所にあったには「盛徳女学校」という学校で、上と同じく犬田の仙波清綱が大正時代に設立した学校で、昭和二十年台まで存続していたらしいとある。
どちらが正しいかは何とも言えない。


その後は跡地に友常医院が開院し長らく診療を続けていたが、現在は診療を辞め更地にし、一番上の写真にあるようなソーラー空き地となっている。
国土地理院の単写真を見る限り2000年代後半までは建物があったようだ。