水戸線に沿って伸びる「裏道」こと鎌倉街道沿いに、半分だけソーラーの敷かれた広い土地がある。
この場所に友常医院が、さらにその前には盛徳女学校という学校がこの場所にあった。
昭和初期の地図にも文のマークが記されている。いわせものがたりによると、盛徳女学校は犬田の仙波清綱が大正時代に設立した学校で、昭和二十年台まで存続していたらしい。
その後は跡地に友常医院が開院し長らく診療を続けていたが、現在は診療を辞め更地にし、一番上の写真にあるようなソーラー空き地となっている。
国土地理院の単写真を見る限り2000年代後半までは建物があったようだ。