裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

岩瀬西中学校

富岡535番地にある市立岩瀬西中学校。現在3学年9クラス300名弱がここで学んでいる。

町村合併前は岩瀬町立西中学校だったため、「西中(にしちゅう)」が一般的な呼び方だ。

岩瀬小学校と坂戸小学校の児童の主要な進学先で、大昔の西那珂村→(旧)岩瀬町全域を学区としている。私もここで成長させてもらっている。

西中の始まりは戦後の1947年。新学制施行により、(旧)岩瀬町立岩瀬中学校として設置された。中学校が設置された富岡地区には戦前まで町役場が置かれていたため、役場こそなくなっても、まだまだ地域の中心だった。そこから

  • 1970年 東中学校の誕生を受けて岩瀬中学校→西中学校に名称変更
  • 1972年 現校舎が竣工
  • 1973年 体育館が竣工
  • 1978年 特別棟、プールが竣工
  • 1981年 健心館(柔剣道場)が竣工
  • 2005年 町村合併により西中学校→岩瀬西中学校に名称変更

と変化している。

セキュリティがザル過ぎて、不審者が入ってこないか心配になる南通用門。

見切れている、集合時の目印としてよく使われるが、集合目的(キツい授業等)からして全く希望を持てなかった希望の木。

そこらへんの自治体体育館並みに大きく立派な西中の体育館

高床のせいで冬地獄のように寒く、また剣道場のくせに高床のせいで床がコンクリートに板を直貼りで、まったくスプリングのないバリカタな健心

写真はないが、少し人が歩くだけで大地震かのように揺れる、心配だらけの特別棟。

すべて私のかけがえのない思い出だ。コロナウイルスが収まり、また登校できる日を楽しみにしている。