裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬 地元についていろいろと

山王神社

東区の鎮守である山王神社。大黒屋の角を入っていくと、広々とした境内が待ち構えている。

鳥居は何故か石造りと木造のものが超至近距離で並んでいる。石造りのは奉納年が刻まれているが、木造は全く素性が分からない。

山王神社

山王神社は1630年頃の創建で、木花咲耶姫を祀っている。一時期「本新田神社」(本新田は江戸時代の東区の村名)となっていたが、昭和31年に山王神社号に戻っている。

拝殿には小さいながらも扁額が2つ奉納されている。1つは岩瀬町内の藤田車製造所ので大正15年のもの。もう1つは大正8年のもので酒のようだが、住所に新潟県刈羽郡千谷沢村とある。現在の長岡市域で、なぜここにそんな物があるのかは分からない。

本殿は建屋の中に入っているよくある構造だが、老朽化が深刻だ。板葺き屋根だけ老朽化しているなら張替えも考えていい頃だが、今の東区にそんな事できる余裕や信仰心があるとは思えない。

左から狛犬・敷石奉納碑(紀元2600年=西暦1940年)
神饌幣帛料供進記念碑(大正2年=1913年)
改築記念碑(昭和11年=1936年)
神輿修復・山車新製記念碑(平成3年=1991年)

神輿庫と小社

稲荷社

お稲荷様が祀られているようだが、由緒、詳細含め全く分からない。

二十三夜尊堂

赤塗のキレイな二十三夜尊堂。1712年の建築だが、これは平沢地区から1957年に移築したものらしい。何があって移築となったのかわからないが、直近では2019年に塗装工事が行われるなど充分な保全が行われており、状態は良い。

郵便局側の入り口には二十三夜尊堂の看板がある。地域のお堂の看板でキャッチコピー付きは珍しい。

お堂のすぐ脇には二十三夜塔がある。お堂は戦後の移築ものだが、この石碑は天明2年(1782年)と刻まれており恐らく昔からここにあるものだろう。

氏子は高齢化し信仰心を持つ人も減っていくが、それでもここは今でも岩瀬駅前住民の心の拠り所だ。