裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

下泉分校跡地(下泉多目的集会所)

高速道路脇にある、坂戸小学校下泉分校の跡地。現在は下泉多目的集会所となっている。

下泉分校は昭和58年3月末を持って廃止されており、そこから集会所になった。

この集会所は自治体所有ではなく市の所有で、市が自治体に貸し付けている形。下泉新田の方には自治会所有の下泉公民館があるため、ここはそのサブ的な役割となっている。建物も本当に最小限の大きさだ。

ちなみに、今の敷地は分校時代の校庭部分のみ。校舎部分は北関東道の敷地として接収されている。やけに小さいと感じるのはこの理由もあるかもしれない。

あと、敷地内には堤上地区の看板がある。どうやらこの敷地は住所上ギリギリ堤上地区であるらしく、下泉を名乗りながら堤上の看板があるねじれ状態となっているようだ。

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上野沼リゾート開発

上野沼周辺の商業地

U−Cityつくば(裏筑波ドライブイン)を中心に、山岡家や壱番亭、山田うどん、きのこ亭やグラスディといった個人店まで広く店が並んでいる。

上野沼開発は戦後、政治家一家である長谷川氏が上野沼湖畔に長谷川バラ園を開業したことに始まる。この地域唯一の観覧車もある、一種のテーマパークだった。

裏筑波ドライブインや、ゆららの湯、ENEOS上野原給油所もすべて長谷川氏率いる長谷川グループの所有物。上野沼の開発は長谷川氏の力の賜物だった。

1980年代以降は岩瀬町も上野沼整備に取り掛かり、遊歩道の整備や噴水、キャンプ場が設置され、町をあげて観光開発がなされてきた。

しかし、長谷川氏が政界引退してからは一転急激な衰退に入り、ゆららの湯は閉鎖、U−Cityつくばは空きテナントに、周辺も閉店が相次いだ。

長谷川氏の力で成長した上野沼周辺は、長谷川氏の衰退とともに弱くなる一方だ。