加茂部地区の奥まったところにある神社。ここには様々な逸話がある。
まず特徴的なのがこの杉の木の注連縄。
「この話は、今から千年ほど昔のことである。
都の朝廷に背いた陸奥の国の阿部宋任貞任一族討伐のため、源頼義は奥州へと向かった。
その道中兵士を募りつつ加茂神社に来ると、里人が参拝を済ませた頼義に向かい言上した。
『この山には、それはそれは、とても恐ろしい妖婆が住み、胎み女を殺してはその胎子を食ってしまうのです。相手が神通力を持っているので、どうか将軍さまのお力で退治していただきたいのです』。
この願いを聴いた頼義は、大軍を集めて山を取り囲んだ。
やがて加茂の神に深く祈願した後、弓に矢をつがえて神仏に念ずると、不思議なことに一天にわかに雲り、車軸を流すような大雨雷鳴とともに光る稲妻、その光に照らし出されたのは、銀髪をなびかせ耳まで裂けるかと思われる真っ赤な口の妖婆の姿であった。
この時、頼義が放った矢は狙い違わず妖婆の喉仏へ。
やがて頼義は、竹の先に妖婆の生首を刺して鳥居に晒した。
こうして近郷の村々を救ったのだが、その後血で汚された鳥居は壊されたまま再建されることなく、参道入り口の杉が鳥居の役目を果たしている。
また加茂部地区では、現在に至るも竹を植えると災いがあるということで、少しの竹林もないそうである。」と、『いわせものがたり』(平成3年9月13日)にある。石の鳥居がないのにはこういう理由があるというのだ。本当に現地には石鳥居がないわけで、歴史とは面白いものだ。
社殿もこのあたりではそこそこ大きい。神主は居らず、普段は磯部稲村神社がここの管理を行っている。