
水戸市内原町にある水戸市役所内原庁舎。昭和54年に完成した。内原庁舎のほか内原出張所や内原支所など色々な呼ばれ方をしている。

ここは2005年に水戸市に吸収されるまで東茨城郡内原町の役場だったもので、現在は水戸市役所の内原出張所と、茨城県内ほぼ全域の消防通報を受け付けるいばらき消防指令センターが入っている。


庁舎前には「町制施行の記」と「内原町閉町記念碑」2つ石碑が建っている。
町制施行の記
内原町は昭和二十八年町村合併促進法施行に当り旧鯉渕、下中妻、中妻の三村、期を一にして各村毎合併促進協議会を結成し、各々慎重審議の結果三村合併が適正規模として県の基準に合致することを確認し各村議会に答申された。各議会は昭和三十年三月三十一日対等合併を決議し、合併に関する一切の事務を完了して歴史上記念すべき内原村が誕生し大字内原現位置に役場を置き新村政が開始されたのであった。面積四十二平方村、県の中央に位し東と北は水戸市に連り、南は茨城町、西は友部町に接し、西北の一部は笠間市に続く、街の北部は東西に跨る丘陵地、中部と南部は平坦な耕地、その中に国鉄内原駅及び国道県道沿線に人口住宅の密集する地域である。以来十年村民の理解と協力とによって経済は成長し生活水準はたかまり町となる資格条件を満たすに至った。
昭和三十九年九月七日村議会は村民の要望に応え郷土永遠の発展のため村を町とすることを満場一致議決され直ちに県に申請した。県議会もまた村民の意を了として議決され、知事は自治大臣に届け出られたので自治省告示第一四九号を以て昭和四十年一月一日より内原村を町とする旨、全国に公示され待望の町制施行が確立されたのである。今や財政規模一億二千万を超え産業の開発、教育の振興、保健施設の充実、町民福祉の拡充強化等飛躍的発展を遂げつゝあることは町民の郷土愛の結晶に外ならない。この輝かしい現状のもと町政を執行されることは自治体として無上の光栄である。こゝに内原町の歴史的発展をかえりみ、先賢の偉業をしのび、将来の繁栄を記念し、その由来を刻して後世に伝えんとするものである。
昭和四十年一月一日 内原町長 立原曻撰文 久保田紫山謹書


内原町閉庁記念碑は文章ではなく年表が刻まれている。町の歩みを簡潔にまとめるにはベストな選択だ。
隣には内原の景色十選も記されている。
