

水戸のくろばね通りの奥には藤田東湖生誕の地があり、看板や石碑、銅像が設置されている。
藤田東湖といえば日本史の教科書にも出てくるような、幕末水戸そして日本に影響を与えた人物。街を歩くだけでこのような歴史上の人物の痕跡と触れ合えるのは歴史ある街の特権であろう。

案内板には”史跡 藤田東湖生誕の地 指定年月日 昭和二十八年九月十日
水戸藩第九代の藩主徳川斉昭(烈公)を助けて藩政改革に尽力し、また「弘道館記」の草案を書き、「弘道館記述義」等を著して、藩校弘道館の創設に大きな足跡を残した側用人藤田東湖(名は彪)が文化三年(一八〇六)三月十六日、父幽谷の長男とし生まれたのが、この地であった。
ここは、寛政八年(一七九六)父幽谷の代に、藩から与えられた屋敷地で敷地内には、私塾青藍舎があり、東湖は、そこで父から学問を受けて成長し、また、江戸へ出て剣術や槍術の修行などもつんだ。
この地は、昭和二十六年藤田家から水戸市に寄贈され、現在はみと好文カレッジの敷地となっているが、「藤田東湖生誕の地」の碑と、東湖産湯の井戸跡が残されている。
水戸市教育委員会” とある。

石碑や象のある場所を含めて、この砂利駐車場の場所が藤田家の屋敷跡地。
藤田家が水戸市に寄贈したのち水戸市中央公民館が建設・廃止→水戸市社会センター(1968~2008)と移り変わり、2008年までは案内板にある”みと好文カレッジ”が社会センター内にあった。現在は県庁らへんに移転しビルは解体され、ご覧の砂利駐車場となっている。