
凸版印刷の北東にある第19代横綱常陸山生誕の地のモニュメント。周りはポケットパークのようになっている。
水戸市制100年を記念し平成元年に整備された。敷地には石碑と案内板、土俵を模した花壇が整備されている。


石碑には
「この碑は、わが国の近代相撲の礎を築き、角界に多大な功績を残した、第十九代横綱『角聖』常陸山谷右衛門の偉業を讃え、水戸市制百年を記念、顕彰事業に賛同した人々の協力と篤志により、明治七年呱々の声をあげた生誕の地、旧宝鏡院門前町に建立、顕彰するものである。
一九八九年九月吉日 常陸山顕彰事業委員会 会長 佐川 一信 新いばらきタイムス社社長 鈴木 正樹 協力者一六〇名」

案内板では
「常陸山谷右衛門(本名、市毛)は、明治七(一八七四)年一月十九日、この地に生まれた。(当時の宝鏡院門前町、現在の城東二丁目) 旧制水戸中学三年の時に上京後、水戸出身の出羽海運右衛門のもとに弟子入りし、頭角を現し、明治三十六年、 横綱に推挙された。さらに、横綱梅ヶ谷(二代目)と共に「常陸・梅」の黄金時代を築き上げ、今日の大相撲隆盛の基礎を固めるという偉業を成し遂げた。引退後(大正三年)は、後進の指導と共に、焼失した国技館の再建にも尽力するなど相撲界全体の発展にも 大きく貢献した。」
と紹介されている。ちゃんこや後援会の風習を始めたともされ、功績から「角聖」と呼ばれているようだ。

2017年の稀勢の里の横綱昇進時にはここで奉納土俵入りが行われた。その時植樹された梅の木は今も元気に育っている。

常陸山がいた時代は私からすれば遠い昔の話であり、あまり実感のない存在。でもこのように整備され、稀勢の里が奉納土俵入りするくらいだからすごかったんだなぁというくらいは分かる。
語り伝えるとはこういうことなのだろう。