裏筑波は裏じゃない

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長栄寺楼門(旧二宮町)

県道西田井二宮線沿い、大根田地区にあるに長栄寺楼門。墓地にぽつんと門だけ建っている。

門の中には「泉田山千手院長栄寺とある扁額があるが、仁王像があったであろう両サイドは空っぽになっている。調べると筑西の福聚寺に移設されたようだ。

2枚ある案内板にはここの詳細が書かれている。まず二宮町教育委員会の看板から

長栄寺 長栄寺は嘉祥三年(八五〇) 慈覚大師により天台宗の寺として創立された。近世に入って下館城主水谷蟠竜斉はこの寺を崇拝し、その孫伊勢守勝隆は祖父の志をつぎ観音堂、大日堂、楼門を建てた。現在の観音堂は千手堂と称し、千手観音を本尊としているが大日堂は失われたものと考えられる。

二宮町文化財指定 昭和四十二年十一月十六日

楼門 寛永九年(一六三二)建立

二宮町文化財指定 昭和四十二年十一月十六日

観音堂 寛永九年(一六三二)建立

昭和六十年三月 二宮町教育委員会

次に関東ふれあいの道の看板

長栄寺 長栄寺は、高承3年(850年)慈覚大師により創建されたと伝えられています。武将名門の信仰篤く、 藤原秀郷平将門征討の折りに武運先勝を祈ったとされ、以来、祈願所として伝わります。その後、久下田城主水谷蟠龍粛正村が当寺の観音を信仰し、その孫の水谷伊勢守勝隆が寛永9年(1632年)に観音堂、 大日堂、楼門、本堂、庫裡を再建しました。 現在では楼門のみが残っています。

環境省・栃木県”

今ここに建つ楼門は1632年建立の築400年近い建物であるようだ。

二宮町教育委員会の看板にある観音堂長栄寺から消え、いま我らが岩瀬の月山寺にある。剣の山にある赤塗りの立派な千手堂がそれだ。

1998年に移築され、岩瀬にやってきた。

1980/2008

ウェブサイトによれば長栄寺は無檀家であり維持できないと判断され、そこに月山寺開創一千二百年が重なっての移築となったらしい。また、本尊の千手観音も昭和40年代に盗難の被害に遭っており、現在は代わりの仏像が入っているとのことだ。

web.archive.org

長栄寺に残る寺の痕跡は楼門とわずかな石碑と墓地のみ。大きな石碑は明治42年のもので、長栄寺の修理を記録している。

なお長栄寺は廃寺だと思っていたが、どうやらここの墓地の管理運営として宗教法人長榮寺は存続しているようだ。二宮やすらぎ霊園の看板に長栄寺の名が残っている。