裏筑波は裏じゃない

茨城岩瀬の大学生 地元についていろいろと

泉川土地改良区の碑

神田さくら橋の脇にある石碑群。明治大正の耕地整理を記念した石碑の奥に、よくあるタイプの石碑がある。

内容を記す

泉川に大区画の美田拓く

桜川市長 中田 裕 書

経営体育成育成基盤整備事業泉川地区記念之碑

碑文

本地区は、国道五〇号線より北側の旧岩瀬町西部に位置し、栃木県益子町と接する泉川流域に展開する水田地帯であり、古来これらの水田からは優良米が産出されてきた。

しかし、この地区は大正時代の一反区画の狭いほ場であった。また、耕作道路も狭いため、作業効率も悪く干ばつの被害を受けやすい地域であった。そのため農作業は困難を強いられ、過酷な自然を前に稲作は極めて厳しい環境であった。

このような状況の中、近年急速に進む農作物の国際競争激化に対応するため、近代的営農体系確立しようとする気運が高まっていた。茨城県と旧岩瀬町及び関係機関からの指導の基に、昼夜の別なく集会を開いた結果、地区内の関係受益者三九〇名の熱意により同意が得られ待望のほ場整備事業が平成十年から県営事業として採択され、実施の運びとなった。

以来、十一年の歳月と総工費約二十一億七千万円余の巨費が投じられ百十八ヘクタール余の農地が基盤整備された。また、霞ヶ浦用水事業により利水の便に恵まれるとともに、創設換地から生み出された土地により、市道が地区の西側を南北に貫き、県道と幹線市道が結ばれた。

換地は、共同減歩率十五・九八パーセントとし、農地の集団化を図り農業経営の合理化が促進された。さらに、大区画及び、担い手育成型事業を取り入れ、農地集積を図ることにより、連担化で質の高い大規模土地利用型農業を実現した。これは、生産コストの低減、品質と収量の安定向上を図ったものである。

ここに理想的な生産基盤が完成し、地域住民の安定した農業経営及び生活環境の充実が約束され、豊かな地域の発展が期待されるに至った。

関係者が一致協力し、本事業の遂行に尽力された功績を称え、県並びに市、関係機関のご支援に深く感謝し、幾多の辛酸を克服した大要をここに明記して、永久に記念に供し後世に託すものである。

平成二十二年三月吉日

泉川土地改良区理事長 中田 裕