
旧50号線沿いにあった県西総合病院の跡。昨年9月末をもって閉院した。
岩瀬町域の公立病院は1950年に北那珂村に当時としては珍しい村立診療所が開設されたことに始まり、その後町村合併を経て1957年には岩瀬町国保病院が開設された。


そして1967年には岩瀬町、大和村、真壁町、協和町、明野町で県西総合病院組合が設立され、翌年県西総合病院が開院した。
その後病棟の拡張を繰り返しながら岩瀬の医療を支えていたが、2010年代に入り筑西市民病院との統合話が浮上。私立の山王病院も巻き込んだ大規模なものに膨らんでいった。

そして2018年に県西総合病院と筑西市民病院は閉院し、県西部メディカルセンターが開院。山王病院も大和駅北開発の目玉として利用され街外れに移転。岩瀬から総合病院が一気に2つ消えた。

しかし筑西市の方はゴネて「筑西診療所」という名前で筑西市民病院が縮小存続されることになり、痛手を負ったのは岩瀬だけという結果になった。

これだけの施設群が全て更地となり、活用法が未定の広大な空き地が発生するのだからこの町はもうどうしようもない。岩瀬の医療を潰した桜川市の選択がどのような結果となるのか見守っていきたい。