裏筑波は裏じゃない

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大泉林道 切り通し

堤上集落のメイン通りを進んでいくと赤沼池があり、その先も進んでいくと林道に突入する。この道は大泉林道といい、この先大泉堀ノ内地区に抜けて県道41号線に合流している。

この道の始まりは江戸時代、大泉地区は年貢米を納めるために西飯岡を回る必要があり、遠回りを強いられていた。

そこで大泉の名主であった袖山勝秀が金35両をかけて、大泉から堤上に抜ける切り通しを整備。宝暦6年(1756)に完成となった。

その道が今度は車での輸送に対応する必要が出てきたため、1965年に林道としての再整備が完成し、今の形に落ち着いた。

切り通しの部分には袖山勝秀の名が刻まれた小さな碑と、開通時に建てられた記念碑がある。今はめったに車も走らなくなったが、かつて重要な交通路であったことを物語っている。

記念碑の内容

開通之記

大泉堤の上切り通しは今を去る百九十八年前宝歴五年七月より宝歴六年四月の間大泉村名主袖山藤兵衛勝秀氏が旧道路難路のため(旧道は南三百米の山頂)金三十五両を投じ三丈余の山を削り埋め人馬の往来を容易ならしめた爾耒今日に至り時運の進むにつれ産業構造の変遷に伴いこの道も近代交通の要求に應ずべく三ヶ年の継続事業として昭和三十七年十一月起工總工事費一千有余万円を投じ延長三千五百五十一米巾員三,六米の道路として茲に工事完成を見たり、これ偏に県当局者並びに町当局及大泉堤の上両地区民の協力の賜であつて地域発展のため裨益すること頗る大なるものと信ずる故に記念碑を建立して記録をとゞめるものなり。